◊由 緒◊
延喜式神名帳所載の駿河國安倍郡御祖皇神社とあるは本社にて駿河國22座中の一である。應神天皇の4年4月勅によりて創建(商業地帯の守護神)寶亀3年4月28日、官幣を賜ひ疫病除け雷除けの勅書を堤中納言を以て當枇に賜り、尚神階を進めらるる等由緒正しく、歴朝の御崇敬並に武將の尊信甚だ厚く、就中武田信玄は一入崇敬し、永峰年中神殿を再興し、本殿拝殿共惣て瓦葺にして、瓦唐草の小口には悉く四ツ目菱の紋を取付け、破風は下り逆形花菱の作彫ありて荘嚴を極めた。天和年中再三造営の紋所は外箱を拵へ永世社頭文庫に納めた。慶長年中徳川家康備前長船作の寶劔を寄進し、中葉後は駿府城代・城番・加番・勤番・代官其の他氏子の寄進によって修復した。叉往時は社中に府内の文庫ありて、町會所に充てられた。社領は神領40石、境内社領共免許の朱印にて文緑年中迄収納せしも其の後廃止された。明治8年2月村社に列し、同17年2月郷社に昇格し、同40年1月12日神饌幣帛料供進社に指定された。昭和15年1月15日静岡市大火に類焼し、今假宮であるが近く再築の豫定である。(静岡懸神社志原文)
神社入口 鳥居(明神鳥居)
手水舎
社 殿
拝殿 神額 「別雷神社」
写真撮影:2010年10月7日