◊由 緒◊
当社は古く富士山東口の社なりしも後世登山道の開設に伴ひ南口登山道の富士浅間の下宮として奉齋するに至った。社伝に人皇十二代景行帝の御代日本武尊東夷征伐の時奇瑞に依り創祀せしという。其の後欽明帝の御宇蘇我称目宿禰本社を再興した。天元4年9月駿河國司平兼盛修理奉幣し、丈治2年源頼朝戦勝の祈願をなし、吹で武田信虎勝頼並に今川家等も屡々戦勝祈願あり、徳川氏に及びては小田原城主より毎年奉幣ありて武門の崇敬篤かつた。旧除地3反13歩を有し、明治8年2月郷社に列し、同40年4月12日神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)
写真撮影:2020年3月16日