◊由 緒◊
創建年月不詳。此の地古榛原郡家ありて榛原君居住の地である。當時君其の遠祖品陀和氣命を祭紳として齋祀る。後世郡家巖後社と爲り、地方鎭守となりて往時江留神社と称して村名の生じた所以である。又當社は元別當大満寺に属し、その所傳の記に境内は東西300間南北180聞とあり、古より地方住民の崇敬篤きのみならず、戦国時代より徳川時代を通じて武門領主等の信仰深かった。永正元年8月今川氏親神領18石1斗を寄進し、慶長9年8月伊奈備前守忠次先例により高18石1斗を寄せ,其の後慶安元年9月徳川家光朱印に改めた。是より先徳川家康元亀天正の間遠州より通過の際数々別當大満寺に於て休憩し、當社に武運長久を祈願せしといふ。享和元年6月高松城主松平讃岐守通行の砌も亦大満寺にて聲食、當杜に参拝名刀一口奉納ありて現存す。丈政11年6月大井川汎濫の爲め社殿境内共に大損害を被り、領主太田摂津守社殿造営の爲め金拾両を寄進し、其の寄進牌今尚神殿に存す。昭和4年5月郷社に列し同年10月9日神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)
神社入口 鳥居(明神鳥居) と 境内に続く参道
手水舎
拝 殿
社務所
写真撮影:2008年9月12日