◊由 緒◊
社傳に本社は延歴年間の創建にして山王権現を奉齋し、當時八幡宮を摂社に勧請した。其の後仁和年間諏訪明神へ勧請して本社に合祀し、降りて元久乙丑年正月17日諏訪神社を末社に遷祀し、更に摂社八幡宮を本社に遷座し之を川除八幡宮と称し氏神とした。足利尊氏以後川除として神領七十石を寄進して四時の祭禮荘厳に執行したが、天文以後数度の兵乱に神社破倒した。天正年間徳川家康大井川の満水にて滞留の時、川除八幡宮の由來を聞かれ本社に祈願せしに翌日減水して渡川することを得た。是に於いて霊験の著しきに感激して社地、山林並みに見通りの芝地一圓を献じ、また大井の二字を冠し、川除を改めて大井八幡宮の尊号を奉り、特に八幡の二字を自書して奉納した。明治6年3月10日郷社に列し、同40年3月15目神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)
鳥居(明神鳥居) 神額「大井八幡宮」
手水舎
拝 殿
神額「大井八幡宮」
社務所
写真撮影:2008年9月12日