秩父市の師走名物、秩父神社の例大祭「秩父夜祭」は、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の1つに数えられています。
江戸時代の寛文年間(1661〜72)には祭りが存在していたという記録があり、300年余りの歴史があります。江戸時代には祭りとともに秩父絹の市が立ち、秩父の経済を大いに潤したといわれ、お蚕(かいこ)祭りとも呼ばれます。
時は移り、今は絹市こそ立ちませんが、秩父に住まう人々の1年の総決算としての変わりはありません。「夜祭(よまつり)」「妙見(みょうけん)さま」などと呼ばれ親しまれてきました。
勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし、まちなかを曳き回されるのが笠鉾2基と屋台4基の山車(国重要有形民俗文化財)です。屋台両袖に舞台を特設しての地芝居(秩父歌舞伎)や地元の花柳一門と杵屋一門によるひき踊りは、秩父神社神楽とともに「秩父祭りの屋台行事と神楽」として国指定重要無形民俗文化財となっています。(秩父観光協会HPから)
お祭りの前日(12月1日) ユネスコ無形文化遺産登録が決まりました。
額殿に飾られている数々の額 秩父市制記念の天狗の面(昭和25年)
柔道に関する額 左下に富山県井波の工匠の名があります。
こちらは、弓道に関する物。古い物です。
社殿の壁はこのように彫刻で覆われています。
「北辰の梟」 体は本殿を向き、顔は反対の北を向いてご祭神をお守りしている。
「お元気三猿」 よく見、よく聞いて、よく話そう
「瓢箪から駒」 このほかにも、「子宝 子育ての虎」 「つなぎの龍」などがあります。
参拝の順番を待つ人々
境内では宮地屋台の屋台芝居が行われようとしていました。
屋台の両側には張り出し舞台が設けられ、芝居が演じられます。
神社の前には下郷笠鉾が入ってきました。
屋根は二層式で最も大きなものです。
舞台から上は漆が塗られず、白木がきれいに見えてます。