江戸時代、田中城の鬼門を守る青山八幡宮の大祭に、藤枝宿の屋台が神興披露の行列に付き従ったのが始まりで、明治4年(1871年)に出された廃藩置県令で、田中藩が解体され、藤枝宿の総社飽波(あくなみ)神社大祭にこの屋台の曳き回しが移行されたそうです。飽波神社大祭は、寅・巳・申・亥(2007年)の年に施行されます(3年に一度)。現在ではこの大祭を「藤枝大祭り」と呼んでいます。
大祭には旧藤枝宿の九町と隣接五町の、合わせて十四町から屋台が曳き出されます。屋台の特徴は、屋台の前面に取り付けられた太く長い梃子棒を使っての屋台操作です。屋台の両脇に付けた楫棒で操作する物はありますが、このような1本で行うものは藤枝大祭りが唯一だそうです。
3年ぶりの大祭はここ飽波(あくなみ)神社を中心に3日間行われます。 | ||
ここに屋台が入り地踊りが奉納されます。 | 飽波神社の拝殿です。 | |
五十海(いかるみ)区の屋台。 | ||
揃いの扇子で気勢をあげながら進んでいきます。 | ||
屋台の中には、長唄、三味線、お囃子、それぞれプロの方々が乗っています。 | ||
唐破風の二層式かな? | ||
屋台の真ん中からでている太い棒で向きを変えます。 | ||
左車区の屋台です。先頭に乗っている3人の女の子も踊りも奉納します。 | ||
踊りのお師匠さんと思われる方が紋付きを着てお宮に向かいます。 | ||
飽波神社境内での地踊りの様子です。 | ||
これは原区の屋台です。大唐破風の一層式です。 | ||
しかし、この梃子棒は独特な物です。車輪は名古屋地方に見られる物と似ています。 | ||
この屋台にはドラも乗っています。 | 下伝馬区の屋台です。 | |
木町区の屋台です。この屋台だけ黒く漆が塗られています。 | ||
車輪とその内側です。この彫り物は? まさしく縁の下の力持ち! | ||