永進車(永楽町)
昭和47年に初代 花屋台 永進車にて永楽町としての祭典を開始し、その後、しばらくは掛川市八坂塩井川原の屋台を借用して祭りを行ってきた。
二代目永進車は昭和47年宇刈中村より購入し祭典に参加。この二代目永進車は愛野地区寺前自治会に売却され「凱勢車」として活躍している。
現在の三代目 永進車は平成7年 屋台建築は森町の山本和夫氏、彫刻は富山県井波町の池田誠吉氏作により完成した。
屋台名は永楽町が末永く和を広げ進んでいくよう願って命名された。
♦平成7年建造♦
屋台工匠 山本和夫(森町)
彫刻師 池田誠吉(富山県井波町)
正面欄間 「張果老仙人 瓢箪から駒」
御簾脇 「費張房仙人」 「鉄枴仙人」
慶雲車(川井東町)
江戸時代の天保の改革後、天保13年、川井村六町がいち早く屋台を作り曳き廻したと伝えられ、総漆塗りで蒔絵が施してあり当時では大変豪華な屋台であったと伝えられている。
現在の屋台は、平成7年10月、森町の山本和夫氏に依頼し完成。
彫刻は富山県井波の善本秀作氏(代表)作である。屋台名の由来については定かではないが、一説には川井東町の有識者川上謙吉氏により、漢書の文中「慶雲、龍翔ニ献瑞ス」を引用し川井三町に命名されたと伝わる。
♦平成7年建造♦
屋台工匠 山本和夫(森町)
彫刻師 池田誠吉(富山県井波町)
献瑞車(川井西町)
江戸時代の天保の改革後、天保13年、川井村六町がいち早く屋台を作り曳き廻したと伝えられ、総漆塗りで蒔絵が施してあり当時では大変豪華な屋台であったと伝えられている。
現在の屋台は、平成5年、森町の森下伸之氏、三室博芳氏、彫刻は浜松の早瀬宏氏により完成した。屋台名の由来については定かではないが、一説には川井東町の有識者川上謙吉氏により、漢書の文中「慶雲、龍翔ニ献瑞ス」を引用し川井三町に命名されたと伝わる。
♦平成5年建造♦
屋台工匠 森下伸之、三室博芳(森町)
彫刻師 彫栄堂 早瀬宏(浜松市)
正面欄間 桐に鳳凰
御簾脇 天岩戸(天字受売命、天手力男命)
真進車(新町)
江戸時代の東海道袋井宿の新町と袋井村の十五軒町、後の「茅町」で現在の住居表示は旧新町は袋井、旧十五軒町「茅町」は広岡になっている。祭りの歴史は古く江戸天保時代には初代真進車が存在していたようであるが資料もなく正確には不明である。
現在の屋台は、平成8年、四代目の建造は森町の森下伸之、三室博芳の両氏に依頼、彫刻は志村孝士氏により完成した。屋台名は産神様の白鬚神社本殿の亀乗り仙人から、可睡齋十一世仙麟等膳大和尚が命名。
「真」は漢の国、呉の国ではチュンと読み意味は「かめ」である。
♦平成8年建造♦
屋台工匠 森下伸之、三室博芳(森町)
彫刻師 志村孝士(富山県)
正面欄間 子引龍
右御簾脇 琴高仙人
左御簾脇 黄安仙人
天幕 唐獅子牡丹(獅子は百獣の王なり、牡丹は花の王なり)
同楽車(新屋)
江戸時代の袋井村で、小字名として十五軒町、西新屋、東新屋があり江戸時代〜明治8年の村名である西新屋に十八軒、東新屋には人家はなく田畑のみであった。
現在の屋台は昭和53年、安達建設(安達鐘雄氏)によって建造され、彫刻は浜松の早瀬宏氏により完成した。屋台名も新屋という一つ屋根(舎)の下に集い楽しむようにと「同楽舎」とした。
♦昭和53年落慶♦
屋台工匠 安達建設 安達鐘雄(新屋)
彫刻師 彫栄堂 早瀬宏(浜松市)
天幕 二十四孝(楊香と虎、舜と象)
太鼓台 力人
龍神車(方丈)
詳細不明
♦昭和63年建造♦
屋台工匠 安間紀雄
彫刻師 伊藤章晴
龍冨車(浅羽富里下)
室町時代に作られた十一面観音菩薩挫像を奉る祭典が始まりで、富里地区の3台の屋台が王子神社に集まり、王子神社祭典が行われるようになる。
現在の屋台は3代目になり、平成18年に鷲巣下自治会から譲り受けたものです。
屋台名「龍冨車」は地元の有志により命名、奇しくも町内のお寺の龍富山松秀寺と名前が一致していたことが後にわかった。
♦昭和49年落慶♦
屋台工匠 名倉建築
龍翔車(川井中町)
江戸時代の天保の改革後、天保13年、川井村六町がいち早く屋台を作り曳き廻したと伝えられ、総漆塗りで蒔絵が施してあり当時では大変豪華な屋台であったと伝えられている。
大正8年、西町の中町の二町に分離、旧屋台の上部を引き継ぎ、大正15年、早瀬長兵衛氏作の彫刻を施し龍翔車となった。
現在の屋台は、昭和56年、永楽町の名倉文二氏に依頼し改築、天幕を新調し彫刻も増付した。袋井の屋台の中で明治時代の形式をそのままに残す唯一の屋台である。屋台名の由来については定かではないが、一説には川井東町の有識者川上謙吉氏により、漢書の文中「慶雲、龍翔ニ献瑞ス」を引用し川井三町に命名されたと伝わる。
♦昭和56年建造♦
屋台工匠 名倉文二(永楽町)
車輪 小栗建築(磐田市)
彫刻師 彫長 早瀬長兵衛(尾張)
正面欄間 子曳龍
御簾脇 菊に闘鶏、桜に山鳩
天幕 牡丹に獅子
聲奏鶴(本町)
祭りの歴史は古く江戸天保時代には初代聲奏鶴が存在していたようであるが、資料もなく正確には不明である。嘉永元年落慶の白鬚神社と共に東海道袋井宿本町、新町、川原町で祭典を行っている。現在、本町の一部である旧川原町には鳳冠車という屋台があり、祭典を行っていた。
現在の屋台は、平成6年、森町の山本和夫氏に依頼し、彫刻は富山県井波町の池田誠吉氏により落慶。平成8年に漆塗りを施す。
屋台名は産神様の白鬚神社本殿の鶴乗り仙人から、可睡齋十一世仙麟等膳大和尚が命名したとの口伝はあるが正しくは不明である。
♦平成6年落慶♦
屋台工匠 山本和夫(森町)
彫刻師 池田誠吉(富山県井波町)
正面欄間 白鬚神社本殿内、立川昌敬作の「鶴乗り仙人」の彫刻を正確に模彫し、屋台名「聲奏鶴」の鶴を表す。合計三羽の鶴は屋台落慶時の自治会の本町、川原町、中央町の結束を表現。
御簾脇 白鬚神社本殿内、立川昌敬作の「亀乗り仙人」「鶴乗り仙人」の彫刻を正確に模彫。神社彫刻を模す事で町内住民の繁栄・弥栄を祈念とする。