昭和51年に中瀬地区で始めての屋台引き回しを与ぐ美の前身である「西中連」、「四搭連」の2つの連が有志で始め、
これが機となり、中瀬地区全体(8町内会)に屋台が揃うこととなった。
後から屋台を作る町内は先人の利点、欠点を見極めたうえでの運営であり、なおかつ最初から町内会による運営であった
ため問題は少なくスムーズにスタート出来たはずである。
しかし、中瀬地区の先駆者である我々「西中連」、「四搭連」は何を行うにも試行錯誤の連続であった。特に、祭典が有志に
より始められたことによる運営のあり方が取りざたされ、それが年々大きくなり自治会による祭典運営を望む声が高まってきた。
両連の祭典運営経験者と自治会役員と再三再四話し合いを行い、平成4年にようやく自治会の組織のひとつである青少年育成会
が主体となって祭典運営行が行われることとなった。
引き続き、その後も若連と自治会との祭典の運営についての話し合いが続けられ、平成8年からは他町内会と同様、育成会ではな
く自治会主体の運営になり現在に至る。
自治会の運営に移るに際し、新しい組名(組織の呼称)を町民から募集したところ、多くの案が寄せられ、その中から「与ぐ美」が選ばれた。
与ぐ美とは
四区の組・・・これを
与・・・(輿)仲間になる。皆さんに良いことを与える。
与党・・・同調する仲間の集まり
久(く)・・・久しい。久しぶりに会った人が仲良く過ごす。
美・・・羊は大きくなると毛がふさふさと美しい。
きれい。美しい。・・・優美、美声、美男・美女。
おいしい。うまい。・・・美味、美酒
内容の良い・・・淑
「提灯」
斜めの3本線
四区の南、東、西の3町内会のまとまり、又四区の右肩上がりに益々の発展をあらわしている。
「連」と「組」の違い
「連」は小さな集合体
連がいくつか集まり「組」となる
今までの「西中連」と「四塔連」が集まり「与ぐ美(与組)」となった
筆:伊藤菊司