この年から浜北祭り屋台引回しと練りが旧浜北市役所南の大通りで始まった。
中瀬六区町内会長が自治会長であり、中瀬支部長であった為参加の要請があり、8月9日(日)六区子供会は屋台曳き廻しに参加した。
初年度の浜北祭りとあって、市内より色々の企業の参加があった。
浜北祭りに参加した六区子供会の二代目屋台
五区町内会が宮口の宮又木工に「屋台の新築」を依頼。約二千万円、中瀬で本屋台の新築は始めてである。西中連の屋台より一回り大きい。
西中連より受け継いだ屋台はこれからもかわいがって戴けるとの事で、浜北市小松の西向に譲ることとなった。
中瀬地区の皆が夢に見ていた本格的な屋台 第一号
三区、四塔連、8区の三連による笠井街道の連引きが笠井街道を通行止めして行われるようになった。笠井街道の通行は数年前から実施し、その頃から警察、交通指導員の協力をお願いしていた。三連の屋台でもそれぞれ花屋台が付くため実際には倍の数になる。迂回路を作り、道路案内が付き、何とか行えたが初めてのことなので対応に苦慮し、苦情も相次いだが何とか事故もなく行えた。
上島の宮大工「内山組」が2代目の大屋台を作り上げた。
不運な事から内山組の資材置き場が火事にて焼失してしまった。でもその時信じられない不思議なことがあった。数年前に上島諏訪神社の檜を切り、内山組の資材置き場に保管していた。他の木は全て燃え尽くしてしまったが、この御神木の檜だけが燃えずにそのままの形で残っていた。
なんとかこの木を地元のために生かせないか、地元のために役立つものは何かと関係者に相談をした結果、御宮様の木であることからお祭りのとき皆に喜んでもらえる屋台を作ることになった。屋台大工は屋台建築の経験のある内山組。二層式の立派な屋台である。
豊岡村松の木島より譲り受けた屋台
中瀬地区2台目となる本屋台が建造された。大工は地元の大城総建、彫刻も地元の雨宮氏による。
西中連、四塔連の屋台曳き廻しを町内会で行うことになり、二連を合併して「与ぐ美」とした。屋台はそのまま2台を曳き廻す。
与ぐ美と改名した旧「西中連」の屋台 | 与ぐ美と改名した旧「四塔連」の屋台 |
大工は六区と同じ地元の大城総建、彫刻も地元の雨宮氏による。
大工は六区八区と同じ地元の大城総建、彫刻も地元の雨宮氏による。
二俣城南連が新築したため、前の屋台を譲り受けた。
7台の屋台が天神社にそろったところです。西中連が最初に御神輿を作ってから33年目です。