挙母まつりは愛知県豊田市(以前は挙母市)挙母神社の祭礼で10月第3土・日に行われます。
この祭礼に最初に山車が登場したのは寛文4年(1664)といわれ、現在では本町・東町・南町・神明町・中町・喜多町・西町・竹生町から合わせて8輛の山車が曳きだされています。
その構造は2層でハマ(木輪)と呼ぶ車輪は外輪、唐破風の屋根を6本の柱で支え周囲には高欄があり、その後部は御簾で覆い前部は吹きぬきです。正面高欄下にも唐破風が附属し簾幕と呼ばれる御簾に白い注連縄を掛け、下部には舞台と呼ばれる前台、後部に二本の梶棒があります。水引幕と大幕で高欄下の三方を覆って飾る、これらの多くは江戸時代後期から大正にかけて製作されたものです。
前日の試楽には樹木地区と下町地区の2ヶ所に分かれて町内曳き、翌日が本楽で神社へ勢ぞろいした後、夕方に勇壮な掛け声と囃子の高鳴る中、紙ふぶきが舞い、次々と町中へ曳き出されていきます。(文化財ナビ愛知より)
江戸時代までは「子守大明神」といわれていたが、明治四年県社として現在の「挙母神社」と改められました。右の写真では「子守大明神」となっている。
この狛犬、決して横から押して平たくしたわけではありませんよ。
宮入が始まると花火の音とともに山車が紙吹雪を散らしながら入ってきます。
山車が入る前に各組代表が神社への挨拶を行います。
○ているとは言いませんが・・・・・ なんとなく○ている ↑
まもなく始まりますが、右の写真は山車の通った跡です。
曳き込みの終わった山車は曳き出しの始まる4時までは境内に曳き揃えられています。その間に、境内では七福神の奉納舞やお囃子の奉納が行われます。
山車の曳き込みが終わると猿田彦がお宮に入ってきます。
曳き揃えられた8台の山車。
この幕は若い人に聞いたところ「日よけ幕」と言ってましたが、本当は「霞幕」だそうです。
・・・疲れました・・・
七福神の踊りとお囃子(中はみんなおばあちゃんでした)
これから2時間くらい掛けて御神輿の渡御が行われます。
喜多町山車
山車各部の名称(祭典パンフレットより)
特徴は山車の前に付けられている「霞幕」と山車の後にある「梶棒」
安永7年(1727年)の作。その後、幾度かの修理が施されている。
昭和50年に作られた大幕。喜多町の町名より七福神の図とされている。
右側の写真は「木輪(はま)」とよばれる車輪です。
神明町山車
祭神の不和童子(天照大神)の姿を白・赤・青の三段幕で表現した物、水引幕は八羽の鴉で「片目鴉」