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岐阜県大垣市八幡神社祭典 平成25年05月12日
♦♦  大垣祭り(八幡神社)  ♦

大垣祭りの起源は、慶安元年(1648年)に大垣城下町の総氏神であった八幡神社が、大垣藩主戸田氏鉄公により再建整備されたおり、城下18郷が喜びを神輿3社の寄付で表し、大垣10か町が10輛の車山(ヤマ)を造って曳回したのが始まりといわれています。
 延宝7年(1679年)、藩主戸田氏西(うじあき)公から、「神楽車山」「大黒車山」「恵比須車山」のいわゆる三輛の車山を賜り、それを機に10か町は、車山の飾りつけに趣向を凝らしていきました。
 濃尾震災や先の大戦によって多くの車山を失いますが、その後、修復や復元、購入などにより再建が進められ、平成24年に2輛の車山が復元され、70年ぶりに全13輛の車山が勢揃いした。(大垣市HPより)

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八幡神社です。各車山が順にからくりや踊りの奉芸を行っています。このあと、約8.8kmの東回りの巡航に出ます。

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大垣祭  車山(ヤマ)

本来、「車」「山」を一文字で「ヤマ」と読みますが、ここでは二文字で「ヤマ」と読ませていただきます。
各やまの説明文はすべて大垣市HPに掲載されているものです。

■ 相生(あいおい)車山 【本町】 ■

 この車山は、謡曲「高砂」を題材にしたところから、別名「高砂車山」とも呼ばれ、2度に渡り車山が焼失しましたが、平成8年に51年ぶりに復元され、現在11輌ある中で一番大きな車山です。屋形人形には尉と姥が置かれ、本やま人形は住吉名神、前やま人形は神主友成が置かれています。
 高砂にあわせて、住吉名神が袖がえしや面かぶりのからくりを見せながら激しく舞います。対照的に神主友成は、静かな動きをしながら中央まで進み、瞬時に帆掛け舟に変わるからくりは圧巻です。

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■ 愛宕(あたご)車山 【岐阜町】 ■

 愛宕車山は別名八幡車山ともいいます。上段屋形には祭神・神功皇后を祀り、軍扇・太刀を持ち、男装でお座りになり、神功皇后は身重ながら新羅に出征され、凱旋後、応神天皇を無事出産された話が「古事記」にあり、安産の神として信仰されています。
 中段左に武内宿祢、右に狂言師、下段には采を振り先導する麾振り人形を置き、からくり芸は能「弓八幡」を題材とし、老翁が高良の神(武内宿祢の神霊)に変身し、神舞を舞います。神官が箱を開けると二羽の鳩が現れ、豆を拾います。

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■ 大黒(だいこく)車山 【魚屋町・竹島町・俵町】 ■

 この車山は、「神楽車山」「恵比須車山」と同じく、藩主戸田氏西公から下賜されたものです。上部には、米俵2俵を置き、その上には、右手に小槌を持ち、左肩に稲袋を荷い、七福神のひとつと教えられている福の神の大黒天がふくよかな笑みをたたえ、運慶の作といわれています。
 魚屋町・竹島町・俵町の三町内が年々交替で曳き、この車山の当番町にあたると、町内では、大国主命の使獣である鼠は殺さない習慣がありました。

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■ 恵比須(えびす)車山 【船町・伝馬町・岐阜町・宮町】 ■

 延宝7年(1679年)、戸田氏西公が恵比須神を祀るにあたって、摂津の広田神社に祀られている西宮の恵比須神に、人を派遣して祈願したといわれています。
 恵比須大神は、左甚五郎作と伝えられ、顔面の塗料が剥げていたので、塗師が塗り替えようと顔面に手を触れた途端、口から火を吹いたといわれています。
 本楽の夜、夜の行事が全て終了し、各町の車山が曳きわかれした後に、その年の恵比須やま責任町から、次の年の責任町に恵比須神のお頭を渡す儀式(お頭渡し)が、古来と同じ手順で今でも行われています。
 この車山は、船町・伝馬町・岐阜町・宮町の4町内が年々交替で曳いています。

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■ 布袋(ほてい)車山 【中町】 ■

 中町の布袋車山は、古来謡曲「加茂」にちなんだ車山として、とりわけ謡の声が良く、また、車山の設備も立派です。
 唐子人形が右手に扇を持って舞いつつ、車山上に向かって右先の隅にある台に近づきます。それから、台上に左手をつき、片手で逆立ちをし、右手の扇を開いて転舞する仕掛けです。離れからくりは、この布袋車山だけです。
 明治24年に濃尾大震災で焼失しましたが、その後、明治35年に再建されました。昭和20年の空襲により再び焼失しましたが、平成24年に再建されました。

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■ 神楽(かぐら)車山 【本町・中町・新町】 ■

 この車山は、別名「御払車山」とも「市車山」ともいい、本町・中町・新町の三町内が毎年交替で曳き、常に行列の先頭を行きます。人形神楽としては、350年ほどの歴史を持つ貴重な文化財であり、躍りを舞う二体の人形は、巫女と山伏のニ体からなっており、舞台の下から人が直接棒で操る大変珍しいものです。
 巫女は鈴を鳴らしながら、静かに祈祷や清めの舞を行い、山伏が両手に熊笹を持ち、湯桶の湯の花を撒き散らして、湯立ての清めを行います。この時に湯の花を撒き散らす紙ふぶきは清めや病魔退散の意味があるとされています。
 人形の巫女の名は昔、大垣の八幡神社に市とよばれる美しい巫女がいたことから、市と呼ばれています。

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■ 鯰(なまず)車山 【魚屋町】 ■

 このやまは、別名「道外坊やま」とよばれており、慶安元年(1648年)に作られました。からくり芸は、赤い頭巾を冠り、金色の瓢箪を振りかざした老人が、鐘と太鼓の賑やかなお囃子につられて、水上で踊り狂う大鯰を抑えようとするもので、誠に面白いものです。
 これは、室町時代の高僧が「泥水の中に住むヌルヌルしたウロコのない鯰を、底の低い丸い瓢箪で押えることができるか」と問い、この問題を画僧の如拙が絵に描いたのが国宝「瓢鮎図」で、これをもとにして作られたのが、鯰やまの鯰押えです。

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■ 榊(さかき)車山 【竹島町】 ■

 竹島町のやまは、明治以前には朝鮮やまがあり、御所車様式のやまを中心に、朝鮮通信使を模した仮装行列で、本来は練り物でした。  しかし、明治維新の神仏分離令などによって廃止され、代わって登場したのが「榊やま」でした。  屋形には、榊と神鏡が飾られており、天鈿女命が榊と鈴を持って、静かに神楽を舞います。天鈿女命が白木台の上の鈴と榊を手に握るところが、このからくり人形の見所です。

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