横須賀まつりは東海市横須賀町にある愛宕神社の秋祭りです。このあたりは江戸時代には横須賀町方といわれ、尾張2代目藩主徳川光友公の別邸(横須賀御殿)のあったところです。
当初は笠鉾祭りだったといわれていますが、江戸時代末期に、5台の山車が揃い曳かれる祭りになりました。山車は北町組・公通組(圓通車・八公車)・大門組・本町組の5台で,いずれも名古屋型の山車です。
祭礼には4台(公通組の圓通と八公の山車は隔年毎)が曳き出されます。高さ6.7m重さ5tもある大きな山車が街じゅうを曳きまわされます。辻では、「ヤー」との掛け声で山車をかつぎ回転させる「どんてん」が見ものです。屋形から舞う紙吹雪とお囃子が雰囲気を盛り上げ、観客の拍手と歓声があがります。(東海市HPより)
愛宕神社にはこんなお話しがあるそうです。
天正から文禄の頃(1573〜1596),馬走瀬村の坂徳兵衛の下女が,ある日突然神がかりして口走ったという。「私は京都・愛宕の神である。今よりこの地の守護神となるので,迎え祀るように」
徳兵衛の舅である坂三郎太夫正家は,京都に徳兵衛を遣わした。そして愛宕神社に参拝させ神像を奉戴,小さな社を築き産土神としたのが愛宕神社の始まりという。(東海市の昔話より[尾張の山車まつり])
愛宕神社 拝殿
拝殿正面に掛かる「扇島」の額(坂正盈)
扇島とは,この愛宕神社から西の一帯が,干潮になると,海に大きな扇形の州が現れるので扇島と呼ばれていたことに因んでいる。
御神輿は飾られていましたが、渡御は行われていないと思います。
愛宕神社の前に縦列した4台の山車
愛宕神社のすぐ前にある北町組の山車と山車蔵。右端には神輿蔵もあります。
水引幕 赤地に亀(後)、鳳凰・麒麟(右側)、竜虎(左側)の刺繍
彫刻は瀬川治助重定作の「獅子」
東海市の文化財に指定されています。
采振り人形(左)、蓮台を回す大唐子と蓮台の上の小唐子(右)安政年間(1854〜1859)五代目玉屋庄兵衛
からくりは[こちら]に詳しく紹介されています。
大門組の山車と屋台蔵
横須賀の山車5台の中では一番古い山車。
紺地に無数の鳳凰の水引幕。最上段の後部に追幕が見られるのもこの山車だけです。
采振り人形はなく三方にのせられた酒壺があります。からくり人形は三番叟の神楽曲に合わせて舞いを踊ります。
からくりは[こちら]に詳しく紹介されています。
ご祝儀を披露する海老紙を竹笹の枝に吊し、山車後部に飾りつける事もここの山車の特徴。
本町組の山車と山車蔵
山車の前面に組名が書かれていないものが横須賀の山車であったが、現在はこの本町組だけとなってしまいました。
支輪彫刻の「龍」とその下の「四君子(菊、竹、梅、蘭)」
松に鶴鸛の群飛が描かれた鶯色の水引幕。
本町組のどんてんの様子は[こちら]で見られます。
前人形(左)と遊んでいる唐子が瓶に落ちたのを、子供時代の司馬温光が大切な瓶を割り中から唐子を助ける様を演じるからくり人形。
からくりは[こちら]に詳しく紹介されています。