やはり彫刻は屋台の命です。彫刻によってその屋台の価値が決まると言っても過言ではないと思います。私たちもずいぶんとあれにしよう、これがいいなどと言ってずいぶん迷いました。最終的には子供達の為の屋台だから、優しさのあふれる楽しい
図柄がいいと言うことで縁起物では最たるものの七福神に決まりました。ただ、めでたいだけではおもしろくないということで、七福神と遊ぶ唐子を入れてみました。これによって七福神の明るさ、楽しさに加えて優しさも表現され素晴らしいものとなりました。
まず、一番上の鬼板には四人の唐子と遊ぶ布袋尊、懸魚には「与」の字の書かれた巻物を持って鶴にのった福禄寿を、御簾脇の上中央には大黒天を、向かって右には唯一女性の弁財天と毘沙門天、左には恵比寿神と寿老人を配してあります。この5人の福神の 周りには5人の唐子が楽しそうに戯れています。
また、懸魚の裏側の鍋ぶたには瑞鳥(めでたい鳥)のうち長寿を象徴する吉兆の鳥とされている一対の鶴が描かれています。その下の欄間には四神のうち東を護る青龍と南を護ると言われている朱雀を配しています。これにより後ろ欄間の白虎、玄武と合わせて四神になります。
鬼板 布袋尊と唐子 |
懸魚 福禄寿と鶴 |
鍋ぶた 一対の鶴 |
欄間 青龍と朱雀 |
御簾脇 七福神のうち恵比寿神、大黒天、毘沙門天、弁財天、寿老神と唐子 |
付録 七福神 | |
【恵比須神】
商売繁盛の守り神。にこにこと笑みをたたえ、 右手に釣竿、左手に鯛を抱えた姿は、いかにも海に囲まれた日本の神様。はじめ日本人は、海の彼方に神の国があり、その神 が海を渡ってやってくると信じていました。もともと「えびす」とは、よそものという意味で、そうゆう漁村の神様が、日本 古来の神様と合体して恵比須神になったとのこと |
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【大黒天】 もともとは古代インドのヒンドゥー教における、 破壊の神様でした。名前の通り、漆黒の体に怒りの形相を浮かべた恐ろしい神でしたが、そういう神様こそ味方につければ頼 もしいと、最澄が中国より持ち帰り延暦寺の守護神としました。その後、鎌倉時代に日本古来の神、大国主命が「だいこく」 と読めるという共通点から二人が合体し、俵に乗り、打ち出の小槌を持った、いかにも優しい福神に変身して、庶民の台所を 守る神様となりました。 |
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【毘沙門天】 古代インドでは武勇の神とされていました。日 本では、聖徳太子が四天王寺に四天王の持国天・増長天・広目天・多聞天を祀られたのがはじまりです。四天王といえば、東西 南北を守る四人の神様。毘沙門天は北方を守るとともに、仏法道場をもガードする役割があり、そのため、仏法を聴聞すること から「多聞天」とも呼ばれています。貧乏神も追い払えるような強い神様。 |
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【弁財天】 インドのサラスバティーという水の神様で、弁天堂 が川辺や池のほとりに祀られているのはこのためです。流れる水の美しい音から弁財天、美音天などと呼ばれ音楽や雄弁、技芸 の神様として信仰を集めました。七福神では唯一の女神で、その姿の多くは琵琶を持った美しい姿です。 |
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【福禄寿】 中国の道教の神様で、南極老人星の化身とされてい ます。幸福、富貴、長寿を表し、長い頭に長いヒゲを垂れ、杖を持って鶴や亀をお供につれ、いかにも長寿のご利益がありそうな 姿です。 |
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【寿老神】 文字通り、長寿を授ける神様です。寿老神は頭が長く、 小柄な老人で、巻物をつけた杖を持ち、鹿を連れた姿などで表現され、この鹿の肉を食べた者は長生きができたといわれています。 しかし、独立して福神として信仰されるにはいたらなかったとのことです。 |
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【布袋尊】 布袋は、中国に実在の禅僧で名を契此かいしといいます。 ぽってりとした太鼓腹、おおらかな笑顔で、外出する時はいつも大きな袋をかついで人に物乞いをし、受けたものは何でも袋の中に放 り込んでしまうので、人々から布袋と呼ばれるようになりました。物事にこだわらない飄々とした風貌と幾多の神技の行為から、その 像を円満に似せて福神のよりどころとして祀られるようになりました。 |