恵比寿臺(えびすたい)


恵比寿臺(えびすたい) 上三之町上組
 沿革 創建年代未詳。明和年間(1764〜1772)、越前宰相より大幕等が下附されたことは高山富裕町人の大名貸を想起させ、当時すでに屋台があったことがわかる。初めは「花子」と呼び文化七年(1810)に殺生石(せっしょうせき)の操り人形に替えて「殺生石」と改名。祭神に恵比寿神を祀ることから「蛭子(えびす)」と呼ばれることもあったが、天保年間(1830〜1844)頃から「恵比寿臺」となった。弘化三年(1846)から三年間かけて大改造。明治十八年、昭和四十三年修理。
 弘化改造 工匠 谷口延恭(のぶやす)
            谷口与鹿(よろく)
        彫刻 谷口与鹿
 構造 切破風屋根 四輪内板車

 特色 下段の龍、中段の獅子、手長足長像の彫刻はいずれも名工谷口与鹿が情熱を傾けた会心の作。金具の鍍金(ときん)には14キログラムの純金が使用される。見送りは幡(はた)見送りといわれる形式で、西洋の風俗を画材とした綴錦織(つづれにしきおり)。鯉の伊達柱(だてばしら)は藤原家孝卿の牛車に使用されたものである。
 文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より

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見送り幕 西洋風俗(綴錦織)。手長、足長が少ししか見えていませんがこれも谷口与鹿の作です
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以下は谷口与鹿作竜の彫刻
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