大国臺(だいこくたい) 上川原町
沿革 寛政八年(1796)に創建され、日枝神社の宮寺松樹院にちなみ、「松樹(しょうじゅ)台」の名で曳行していた記録がある。寛政十一年(1799)、上二之町の現在の鳳凰臺組から大黒天像を譲り受けて「大国臺」と改称した。弘化四年(1847)に大改修。明治十六年(1883)、大正十三年、昭和三十九年に修理。
弘化改修 工匠 石田春皐(しゅんこう)
構造 切破風屋根 四輪内板車
特色 構造上に工夫がこらされ、屋根棟と上段の縁が違う動きをして、しなう美しさを出している。祭神となっている大国天の人形はもとは腹中から七福神が舞い出るからくり人形であったという。毎年、くじによって決められる屋台曳行順で、この屋台の順位が若ければその年は米価が高く、その反対であれば安いという伝承がある。中段欄間の石田春皐作飛龍、下絵の土村英斎(どむらえいさい)作獅子の彫刻が引き立っている。
文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より
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