三番叟(さんばそう) 上一之町中組
沿革 宝歴年間(1751〜1764)の創建で、臺銘は「恩雀(おんじゃく)」、天明年間(1781〜1789)に翁操りを取り入れ「翁(おきな)臺」と改銘、文化三年(1806)に雛鶴(ひなずる)三番叟の謡曲による操り人形に替え、臺銘も三番叟となる。天保八年(1837)、現在の台形に改造され、大正七年と昭和四十一年に大修理を行なう。
天保改造 工匠 牧野屋忠三郎 彦三郎
構造 切破風屋根 四輪内板車
特色 二十五条の細綱で操るからくりがある。童形の三番叟人形が所作を演じつつ、機関(からくり)樋の先端へ移行した聯台(れんだい)上の扇子と鈴を持ち、面筥(めんばこ)に顔を伏せ、翁の面を被り、謡曲「浦島(うらしま)」に和して仕舞を演ずるという構成である。屋台曳行順のくじは、必ず「一番」を引くことになっていて、神楽台についで他の屋台に先行する慣例となっている。
文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より
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