五臺山(ごだいさん) 上二之町中組
沿革 創建年代未詳。寛政年間(1789〜1801)には、「廬生(ろせい)」の臺名で操り人形があった。文化年間(1804〜1818)に改修。中国名山の「五臺山」と名を改めた。天保三年(1832)の火災に焼失の後、天保八年(1837)再建。明治二十〜二十三年改修。昭和四十八年修理。
天保再建 工匠 谷口延恭(のぶやす)
飛獅子彫刻 立川和四郎(たてかわわしろう)
明治改修 工匠 村山民次郎
構造 切破風屋根 四輪内御所車
特色 朱塗り格子を透かして、回転する御所車がみえる。車は京都御所用車師中川万吉の作。獅子牡丹の刺繍幕は円山応挙が下絵を描き、下段の飛獅子彫刻は幕末の左甚五郎といわれた諏訪の立川和四郎作。見送り幕の雲龍昇天図は明治の帝室技芸員幸野楳嶺(こうのばいれい)の原作で、京都西陣で製作に半年を要した綴錦織の大作であり、各所に由緒を誇る屋台である。
文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より
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雲龍昇天図(綴錦織) |
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圓山應擧下絵による獅子牡丹西陣刺繍幕 |
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幕上の極彩色牡丹は谷口与鹿の作 |
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以下は立川和四郎作 飛獅子 |
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