青龍臺(せいりゅうたい) 川原町
沿革 創建年代未詳。明和三年(1766)に存在した記録がある。文化四年(1807)には、「道成寺(どうじょうじ)」の名で曳行しており、娘道成寺のからくりを演じたという。文化十二年(1815)に改修。天保三年(1832)、火災により焼失し、嘉永四年(1851)に再建した。この頃、台名も「青龍臺」と改めた。明治二十三年(1890)大改修。明治四十年、昭和三十年修理。
明治修理 工匠 船坂栄蔵ほか
構造 入母屋造屋根 四輪内板車
特色 国主金森氏が、特に日枝神社を崇敬すること篤く、この屋台組が神社膝元の重要地区にあったことなどから、金森氏の代行として宮本(みやもと)と呼ばれて、家紋梅鉢を使用し祭事を主宰する特権を持っていた。これは明治二十四年(1891)に宮本が輪番制になるまで続いた。台形も三層で、天守閣型の屋根(入母屋造)となっており、他の屋台と趣を異にしている。
文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より
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