龍神臺(りゅうじんたい)


龍神臺(りゅうじんたい) 上三之町中組
 沿革 創建年代未詳。安永四年(1775)に弁財天に猿楽を舞わせたとの記録があり、文化4年(1807)の屋台曳順の「龍神」の台名がみえる。またこの頃、竹生島(ちくぶしま)弁財天にちなみ、「竹生島」とも呼ばれた。文化十二年(1815)に改造し、弘化三年(1846)に修理。明治十三年から三年がかりで再改造し唐破風屋根を現在の切破風に替えた。昭和四十一年、半丸窓上に龍彫刻を取り付ける。
 文化改造 工匠 谷口紹芳
 明治改修 工匠 谷口宗之
        塗師 小谷屋正三郎
 構造 切破風屋根 四輪内板車

 特色 三十二条の糸を操って龍神のはなれからくりが演じられる。これは、竹生島の龍神にちなんだもので、八尺余りの橋樋の先端に、唐子によって運ばれた壷の中から突然赫(あか)ら顔の龍神が紙吹雪をあげて現れ、荒々しく怒り舞うという構成である。見送りは試楽祭には望月玉泉(もちづきぎょくせん)筆の雲龍昇天図、本楽祭は久邇宮(くにのみや)朝彦親王の書で、明治天皇の鳳輦の裂れで表装されたものを用いる。
 文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より

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見送り幕 本楽祭用の久邇宮(くにのみや)朝彦親王の書で、明治天皇の鳳輦の裂れで表装されたもの
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村山群鳳作 龍の彫刻