鳳凰臺(ほうおうたい)


鳳凰台(ほうおうたい) 上二之町下組
 沿革 創建年代未詳。寛政十一年(1799)、大黒天のからくり人形を大国臺に譲り、その後文化四年(1807)には「迦陵頻(かりょうびん)」の名で曳行している。またその当時、「鹿島(かしま)」と呼ばれていたこともあるが、文政五年(1822)に「鳳凰臺」と改称した。天保元年(1830)から改修を行なったが、天保三年の火災で焼失、天保六〜八年に再建された。明治八年(1875)、大正年間に小修理。昭和三十七〜三十九年に大修理。
 天保再建 工匠 原屋喜助 牧野屋忠三郎
 構造 切破風屋根 四輪内板車

 特色 屋根中央部に赤木白毛の長い鉾をたて、根部に緋羅紗(ひらしゃ)の屋根覆いをまとっている。赤黒黄三色の大幕はオランダ古渡りの珍しい毛織といわれる。全体に堅牢で、金具も目立たなくして木材の美しさを強調している。狭い道路の通行に備え、上段蛇腹(じゃばら)形支輪(しりん)が伸縮するようになっている。
 文書:「高山の文化財」(高山市教育委員会発行)より

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天保六年(1835)、約170年前に作られたもの